1973年の軍事クーデターで死亡したチリのアジェンデ元大統領の孫が首都圏内のヌニョアで市長に当選したと「しんぶん赤旗」が報じた。この母は元大統領のイサベル・アジェンデだと思う。彼女は1993年以来父と同じチリ社会党所属の国会議員である。
1970年代、チリは議会制民主主義を通じて左翼勢力が政権を獲得した。しかしアメリカに後押しされたピノチェト将軍らは軍事クーデターを引き起こし、大統領官邸を襲撃し、アジェンデは命を亡くした。ピノチェトは大統領職を強奪し、16年間に及び独裁体制下で次々と反対派の市民を投獄・処刑した。
1975年前後だと記憶するが、アジェンデの娘がチリの実情を訴えに名古屋へ来たことがある。その頃小生はまだ若く名古屋駅に到着する際の彼女の警備に就いたことを覚えている。あれから40年近くが過ぎ、ピノチェトの国民虐殺が国内外で大きな世論となり、チリ国内の状況も大きく変わった。こうした中で孫が市長になった。歴史は決して独裁を許さないし、どんな困難があってもこれを打ち破る力があることを教えている。
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